【シギリージャの歴史】お葬式の歌から来ていた?
- 2022.07.01
- シギリージャ
- Flamencopolis, シギリージャの解説
こんにちは〜!
今までフラメンコは踊りの観点でしか見てこなかったけれども、文献などを読んでいろんな側面から理解したいなと思っての試みです。
フラメンコの各パロを詳しく紹介しているサイト「Flamencopolis」で各パロを勉強し、その内容を日本で解説?翻訳?してみるという企画です。
まずは今取り組んでいるシギリージャから!!
実際のページはこちらからご覧ください(スペイン語)
Flamencopolisを読んでみた感想
シンプルにめちゃくちゃ難しい(笑)。
フラメンコは西洋のものだけあって宗教的な単語とか、あとは単純に音楽用語とかが多くて…大変でした(笑)
Conservatorioに通っていた友達は、授業でこういうのめちゃくちゃ読んでたんだなぁ、これはスペイン語が母国語じゃないとかなり辛いなぁ、私はこれで試験とかされたら死ぬわ〜、などと思いながら読みました(笑)
では行ってみましょう!
シギリージャの由来
19世紀半ばまでは「Playera」という名前で知られていました。Playa(ビーチの意味)と響きが似ていますが、PlayaではなくPlañideraという言葉から派生したという説が濃厚です。
Plañideraは、お通夜で歌を歌う女性のことを指します。こういった葬送歌を歌う女性はヒターナが多く、フラメンコ・シギリージャと必ずしも一致するところはないものの、シギリージャのルーツはここにあると考えられています。
しかしながらPlayeraとSiguiriyaの直接的な関係については、多くの作家が疑問を呈しています。実際には、Playeraはカンテホンドとして歌われました。Pepe de la Matronaは19世紀の終わり頃にはフラメンコを歌う人を指して“Échate una playera”という言葉を流行らせました。※
※専門家のご指摘をいただきました。原文にはあるものの、Pepe de la Matronaは19世紀末ごろはプロであるもののまだ10代。そこまでの影響力はなかったであろうことから、誤記である可能性ありとのことです。
Playeraはクラシック音楽の作曲家たちを魅了しました。主には以下の作曲家たちがいます:Enrique Granados, Pablo Sarasate, Ruperto Chapi, Oscar Esplá, Graciano Tarragós
シギリージャは色々な表記の仕方があります(Seguiuriya, Seguiriyas, Siguiriya, Seguirilla, Seguerilla)。さらに過去に遡ると、La seguiriya gitanaまたはSeguiriya del sentimiento。
歌(レトラ)の始まりは、幅広い音域で歌われる「Ayyy」という独特のメロディから最もよく知ることができます。
このAy〜を正確に楽譜に書き起こすのは非常に難しく、多くの音楽家たちを悩ませました。
Manuel de Fallaが自身の研究「El Cante Jondo」で、原始的なトーンで歌われ、明確なリズムがない礼拝式のシギリージャについて書いています。15世紀にグラナダの外側にいたヒターノたちの要素を持っているよううです。
Garcia Matosによると、1820年のオペラ “La máscara afortunada”(幸運の仮面)に、シギリージャと同じメトリックを持つ歌が”Las Playeras”という題で存在していたということです。
続きは次回!
長くなったので今回は由来までで終わりにしておきます。
お葬式で歌われていた歌が元になっているんですね!シギリージャは絶望、とか死とかが歌われているよっていうのは聞いていたのですが、ベースを知るとより理解が深まりそうですね。
次はシギリージャの歌の構成などを書いていきます。
誤訳などあったらご指摘くださいね(汗)。
一言一句拾ってるわけじゃありませんが。。。
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